父と会社と長男と

2016年3月。胆石だと言われ手術した結果が、なんと小腸癌腹膜播種。
そんな父と長男の、癌と自営業の会社との戦い。

決断の日

4月14日。
大阪のY先生のセカンドオピニオンの日でした。
10:30の予約でしたので、朝6時に父と二人で家を出ました。


先日の、がんセンターで味わった絶望感。
そして、やはり難解な手術への恐怖と地元への愛着から、
「死ぬなら地元で死にたい」
という父の思いは変わっておらず、取り合えず行くけど、きっと地元の総合病院で延命治療を選ぶんだろうなと感じておりました。


10時くらいに病院につき、受付を済ませ、待つこと
1.2.3...7時間!!
呼ばれたのは18時前でした。


最初に、個人的に病院に電話した時に
「あ、深夜になってもよければ早く予約とれるかもしれません」
と言われていたので覚悟はしていたのですが、Y先生の診察まちの人の多いこと。


診察室に通され、先生の説明が始まりました。


「小腸癌の腹膜播種ですね。この病気は珍しんですよ。
癌センターとかだと、症例数がないんで治療できないというだろうね。
でも治るよ。全部取ればいいんだよ。
転移はないみたいだね。ただ、紹介文を見ると播種が無数にあると書いてある。
今のままじゃ取りきれないかもしれないね。
抗癌剤を6回くらいして数を減らしてから取ろう。
小腸癌は抗がん剤が効きやすいからね。
大丈夫。なおるよ。
早い方がいいね。来週は・・・診察がいっぱいだから、
4/28日に診察して抗癌剤を始める日を決めよう。来れる??」


絶望の底に刺した一筋の光でした。
ただ、あまりの展開の速さに地元で治療しようと思ってた父は、
「え!?え!!?どうしよう?どうしよう??」
と即答できず、困っていました。
それを見た先生は
「予約はとっとくから、治療を受ける気になったら来なさい。
あ、今の病院を退院してから来てよ。」
といってくれ診察を終えました。


帰りの車の4時間。
二人で色々と話をしました。
私は
「父がしんどいのも治療がつらいのもわかる。でもどうせなら希望を持って生きたいし、生きていてほしい。」
と本音を伝え、父も
「あそこまで言われたら、大阪に来るしかないな~」
と腹を決めました。
この日も結局二人で泣きながら家へと帰りました。
でもこの涙は一週間前の涙とは違っていました。


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