手術の後は現実を受け止めるので精一杯でした。
27歳の時に仕事を引き継ぎ、度重なる苦労を重ね会社を大きくしてきた父。
いつも仕事で、人の心配ばかりしていて自分の事はあまりできなかった父。
それがやっと私という後継者ができ、趣味に友人にと時間ができ始めた矢先・・・。
涙ばかりが流れてきて何もできませんでした。
母も同様で、食事する気力すらありませんでした。しかし、そんな父を支えないといけないのは私たちで私たちが元気じゃないといけないと思い、夜は病院に行き、そのあとは実家に母の夕食を持ってかよいました。
「癌」ということがショックすぎて、父が一般病棟に移った術後2日目以降も、父本人には癌の事は触れずにいました。
先生にも「癌」のこと「余命」の事は触れないようお願いしました。
ショックで何もできない私とは裏腹に、嫁は治療方法について毎日ネットを探したり本を買っては読んだりしてくれていました。
そんな姿を垣間見て、このままじゃだめだと思い術後2日たったくらいから嫁と父の治療方法を一緒に探しました。
そして、大阪にある腹膜播種センターのY先生にたどり着いたのです。