父と会社と長男と

2016年3月。胆石だと言われ手術した結果が、なんと小腸癌腹膜播種。
そんな父と長男の、癌と自営業の会社との戦い。

手術後1週間(1回目)

手術の後は現実を受け止めるので精一杯でした。


27歳の時に仕事を引き継ぎ、度重なる苦労を重ね会社を大きくしてきた父。
いつも仕事で、人の心配ばかりしていて自分の事はあまりできなかった父。
それがやっと私という後継者ができ、趣味に友人にと時間ができ始めた矢先・・・。
涙ばかりが流れてきて何もできませんでした。
母も同様で、食事する気力すらありませんでした。しかし、そんな父を支えないといけないのは私たちで私たちが元気じゃないといけないと思い、夜は病院に行き、そのあとは実家に母の夕食を持ってかよいました。 


「癌」ということがショックすぎて、父が一般病棟に移った術後2日目以降も、父本人には癌の事は触れずにいました。
先生にも「癌」のこと「余命」の事は触れないようお願いしました。


ショックで何もできない私とは裏腹に、嫁は治療方法について毎日ネットを探したり本を買っては読んだりしてくれていました。


そんな姿を垣間見て、このままじゃだめだと思い術後2日たったくらいから嫁と父の治療方法を一緒に探しました。


そして、大阪にある腹膜播種センターのY先生にたどり着いたのです。

手術当日の夜(1回目)

電話連絡を受けた私は、昨日の執刀医の先生の言葉を思い出していました。
「腫瘍ではないと思いますが・・・」


手術後父はICUに入っていましたので、夜の指定時間の面会へ。
本人は胆石取っただけと思っていたのか元気で、ごぞごぞ動き回っていました。


私は電話で内容を聞いただけだったので、看護師さんに無理を言い執刀医の先生にアポを取って頂きました。
執刀の先生はオペ中だったらしく母と病室で待つこと一時間。
看護師さんに呼ばれナースステーションへと移動しました。


そこには執刀医の先生がパソコンの前に座っており、画像を交えて丁寧に説明してくれました。


①小腸に腫瘍(癌)があり、それが腸閉塞を起こしていたこと。
②小腸の腫瘍は、摘出したこと
③大腸のあたりの腹膜に、5mm程度の播種が無数存在すること(病名は小腸癌腹膜播種)
④進行が速く、1年も生きられないかもしれないということ
⑤胆石は、取り除いたこと


私と母は愕然としてしまい、その夜は何もできませんでした。

手術当日(1回目)

手術当日。9:00開始で、予定は胆石の摘出と房十二指腸ヘルニアの治療で、2時間くらいの予定でした。


当日の朝、家族は8:30に来てくださいとのことでした。来ていたのは、母、私、私の嫁、父の友人、父が中学生くらいから会社に勤めてくれている事務員さんの5人でした。


手術室前で父を見送り、仕事だった私は一度病院を離れました。


手術終了予定の11:00前にもう一度病院へ。しかしなかなか出てきません。予定の時間を1時間過ぎても出てこない状況に、私は再度病院を離れ仕事へ。


そして仕事の最中、手術が終わったのか嫁から電話がかかってきました。無事終わったんだなと思ってとった電話から思いもよらない言葉が耳に入ってきました。


「手術室から主治医の先生が出てきて、残念なお知らせがありますって言うんよ。で、何かと思ったらお父さん癌だったんだって・・・」


これがすべての始まりでした。