父と会社と長男と

2016年3月。胆石だと言われ手術した結果が、なんと小腸癌腹膜播種。
そんな父と長男の、癌と自営業の会社との戦い。

治療方法の模索②

父に大阪の事を伝えた後も私は色々と調べ続けました。
まずは小腸癌の事


・非常にまれな癌であること。
・まれであるため、症例数が少なくエビデンスがないこと。
・治療は「大腸癌」もしくは「胃癌」のどちらかに準じて行うこと。


それと腹膜播種の事
・腹膜に癌が転移している状態。
・手術での摘出がむずかしく、抗がん剤での延命治療になること。
・腹膜に播種している癌が、内臓に転移し腸閉塞などを起こすこと。


調べれば調べるほど私は大阪のY先生の所に行くしかないと感じました。


しかし、そんな僕とは裏腹に父は調べれば調べるほど
「死ぬなら地元で死にたい」
「手術して目を覚まさないかもしれないのが怖い」
と大阪での治療は考えられなくなっていったのです。
その様子を見て私もその方がいいのかもとも思いだし、3つの病院で治療方法を聞くことを考え、主治医の先生に相談しました。


①地元の総合病院
②地元に近いがんセンター  
③大阪のY先生。


ただやはり、大阪をあきらめきれず先生になるだけ早くセカンドオピニオンの日をお願いしますとお願いいしました。


するとお願いが通じたのか


地元に近いがんセンター 4月8日
大阪のY先生      4月14日


に決まりました。

がん告知

そうこうしているうちに、父が何か不思議に思ったのか、主治医の先生が回診の時、自分の病状と余命を問い詰め知ってしまいました。


それを母からメールで知らされた私は、病院に行きました。
父は、ゆっくりと自分の話をし涙ぐみました。
こんな父を死なせたりできない、どうにか元気づけないとと思い、大阪に治療してくれる人がいる、一緒に行って頑張りたいということを伝えました。


そして、私は大阪の病院に直接予約の電話をしました。


この時は4月1日でしたが、早くても5月の連休明けになるかもしれないと言われ尚且つ予約は病院を通してしてくださいと言われました。
やはり、同じような境遇の人は日本中にいて同じことを考えているので自分の父親だけ特別というわけにはいかないよなと感じました。

治療方法の模索①

正直、地元の総合病院の主治医は「治療を何もしないのも手だよ」とも言ってくれました。
しかし、あきらめきれない私は主治医の先生に夜無理やりアポを取っていただき、大阪の腹膜播種センターのY先生の所に行ってみたいと相談しました。
先生は、Y先生の事はご存じではありませんでしたが、親身になって話を聞いていただき
「そんな方がいるんですね、行ってみたらいい。私の親が小腸癌腹膜播種になっても君と同じことをするよ」と言ってくださり、そして現状わかっていることをすべて紙に書いてまとめてくれました。
というのも、SNSでY先生を見つけメッセージを送るつもりだったからです。


小腸癌(トライツ靭帯から5㎝)半周性、表面に露出。
原発巣は3月24日に切除、
D3廓清→K-ras提出。原発周囲2か所はサンプリング。
腹膜播種下腹部に多数5mm前後の結節残存。
組織型は腺癌


この時は、私の気持ちだけが先走り、父はまだ自分が癌だということも知りませんでした。