父と会社と長男と

2016年3月。胆石だと言われ手術した結果が、なんと小腸癌腹膜播種。
そんな父と長男の、癌と自営業の会社との戦い。

初診

大阪のY先生のセカンドオピニオンを終え、父はやっと覚悟を決めたようです。


2院のセカンドオピニオン中は、まだ入院中でずっと「一時外出」で行っていたのですが、地元の総合病院の執刀医の先生に


①大阪で治療を受けること
②また何かあったら相談にきたい事
③御礼


を告げ、退院し初診までの数日を孫の顔を見に姉の嫁ぎ先を出向きました。


僕はY先生の治療経験のある人のブログを探しては色々と考えていました。
そして、まだ引っかかっていることがありました。
というのは、父はなるべく地元にいたい人だからきっと治療中もよほどのことがない限り実家に帰りたがるだろう。


①その時に、地元の総合病院でケアをしていただけるのだろうか?
②多忙なY先生と連絡を付ける方法があるのだろうか?


そうこう考えていると初診の日がやってきました。
先生と治療の意思を確認し


①翌日からTS-1を2週1休で行うこと
②5月2日にポート手術前の事前検査を行うこと
③5月9日から、


1週目 腹部ポートよりシスプラチン40mml ドセタキセル40mml腹腔内投与
2週目 腕よりシスプラチン40mml ドセタキセル40mml静注
3週目 休み


を3クール、通院で行うこと。
④その旨、地元の総合病院に手紙を書いたいただけること。


をいい渡され診察を終えました。


地元の総合病院の先生からは、進行が速いから治療開始は1日でも早い方がいい。
手術をして、4週か5週目からは治療に入れるからなるべく急いでと言われていたのですが、TS-1の開始が4月29日(原発巣摘出から35日)、抗がん剤の腹腔内投与の開始が5月9日(原発巣摘出後から45日)となってしまいました。


手術して体が弱っているので、すぐには治療開始できません。
しかし、その間も癌の成長は待ってくれません。
もう少し早く治療が開始できていたらと、今でも後悔は募りますが何とか舞台には立てたと思います。

決断の日

4月14日。
大阪のY先生のセカンドオピニオンの日でした。
10:30の予約でしたので、朝6時に父と二人で家を出ました。


先日の、がんセンターで味わった絶望感。
そして、やはり難解な手術への恐怖と地元への愛着から、
「死ぬなら地元で死にたい」
という父の思いは変わっておらず、取り合えず行くけど、きっと地元の総合病院で延命治療を選ぶんだろうなと感じておりました。


10時くらいに病院につき、受付を済ませ、待つこと
1.2.3...7時間!!
呼ばれたのは18時前でした。


最初に、個人的に病院に電話した時に
「あ、深夜になってもよければ早く予約とれるかもしれません」
と言われていたので覚悟はしていたのですが、Y先生の診察まちの人の多いこと。


診察室に通され、先生の説明が始まりました。


「小腸癌の腹膜播種ですね。この病気は珍しんですよ。
癌センターとかだと、症例数がないんで治療できないというだろうね。
でも治るよ。全部取ればいいんだよ。
転移はないみたいだね。ただ、紹介文を見ると播種が無数にあると書いてある。
今のままじゃ取りきれないかもしれないね。
抗癌剤を6回くらいして数を減らしてから取ろう。
小腸癌は抗がん剤が効きやすいからね。
大丈夫。なおるよ。
早い方がいいね。来週は・・・診察がいっぱいだから、
4/28日に診察して抗癌剤を始める日を決めよう。来れる??」


絶望の底に刺した一筋の光でした。
ただ、あまりの展開の速さに地元で治療しようと思ってた父は、
「え!?え!!?どうしよう?どうしよう??」
と即答できず、困っていました。
それを見た先生は
「予約はとっとくから、治療を受ける気になったら来なさい。
あ、今の病院を退院してから来てよ。」
といってくれ診察を終えました。


帰りの車の4時間。
二人で色々と話をしました。
私は
「父がしんどいのも治療がつらいのもわかる。でもどうせなら希望を持って生きたいし、生きていてほしい。」
と本音を伝え、父も
「あそこまで言われたら、大阪に来るしかないな~」
と腹を決めました。
この日も結局二人で泣きながら家へと帰りました。
でもこの涙は一週間前の涙とは違っていました。


どん底

4月8日.


一番近い地域最大の癌センターのセカンドオピニオンでした。
父と二人で向かいました。


地元の総合病院では、胃癌か大腸ガンに準じて抗癌剤の投与を行う治療方法を言われていたので、癌センターではどう言われるだろうかとドキドキしていました。


おそらく小腸というからには腸という字がつくので大腸に準じるのだろう、FOLFOXかFOLFIRIかはたまた聞いたこともないような新しい抗癌剤か。。。
予定時間から2時間ほど待ち、小さい部屋に通されました。


まずは病状の説明からしていただきました。
絵を描きながらていねいにせつめいしてくれました。


「小腸癌の腹膜播種で非常に珍しい。。。」


私は色々と調べたりして,一通り聴いてあった内容だったので動揺はありませんでしたが、
父はやはりまだ自分がひどい状況だという実感がないのか、ステージ4と言う先生の言葉にひどく落胆していました。
そして、待ちに待った治療方法についての話が始まりました。


「非常に珍しい癌で、ここの癌センターでも症例数がありません。
おこった症状に関して、腹水を抜くだとか痛みを取り除くだとかの緩和ケアはできますが、治療はできません。」


ん!?治療はできない?大腸や胃がんに準じた抗癌剤もしていただけないのか?と食い下がってはみましたが
結局答えは「No」でした。
父は今にも泣き出しそうな顔をしながら、ありがとうございましたと丁寧にお礼を言い部屋を出ました。


その後、帰り道の一時間は二人とも会話もなく涙を流しながらかえりました。
小腸癌という珍しい癌と腹膜播種という絶望的な状況。
改めてことの重大さを痛感させられました。


小腸癌の原発巣を取り除きやっと食事ができるようになった父を少しでも元気付けようと
美味しいお蕎麦やさんに寄って腹一杯昼食を食べて家へと帰りました。
この時の絶望は今でも忘れられません。